松永美穂選手インタビュー「日本代表初選出と2022シーズンを振り返って」
アジア地域最高のセブンズトーナメントとして開催されるアジアラグビーセブンズシリーズ。
昨年の秋、その大会に日本代表として初出場を果たした松永美穂選手に2022シーズンを振り返っていただきました。
―2022年は太陽生命ウイメンズセブンズシリーズ熊谷大会の初優勝に続き、女子日本代表にも初めて選出されるというシーズンになりました。松永さんにとって特別な1年だったのではないでしょうか―
昨年はキャプテンとして、チームにフォーカスしてチームの勝利に最大限貢献することしか考えていませんでした。日本代表を目指すという意識はまったくなくて、「えっここへ来て呼ばれるの?」という嬉しい驚きでした。
実は何年か前までは、日本代表を意識して頑張っていたのですが、その間はまったく呼ばれることがなかったので、精神的に苦しくなって日本代表のことは忘れることにしたのです。
今の自分にとって一番大切なことは何かを考えたときにチームで勝つことだと気づきました。このチームで勝ちたい、優勝したいとそれだけに集中しているうちにパフォーマンスがどんどん上がって、日本代表合宿に声をかけていただきました。本当に嬉しかったです。これまで地道に取り組んできたことが間違っていなかったと自信に繋がりました。
―日本代表で感じたことや学んだことを教えて下さい。―
まずは一人ひとりがものすごく強くて、メンタル的にも身体的にもどちらも鍛えられていると感じました。選ばれた選手ばかりなので日本を代表して戦うという覚悟がとても強い。若い選手でも国際試合の経験が豊富な人もいて、初代表の私としてはいろいろなことを学びました。
朝起きたらこれをやって、その次にはこれをやる、というように自分だけのルーティーンを皆さん持っているんです。それは自分が最高のパフォーマンスを発揮するための準備なのです。
私にはそこまではっきりしたものはなかったので、日本代表に選ばれる選手たちは自分というものをしっかり確立しているし、確立しているからこそ選ばれるのだと思いました。
日本代表合宿では初めて話しをした選手もいますので、仲間が増えたという意味でも素直に嬉しかったですし、学びの多い貴重な機会だったと思います。
―初めての日本代表ですから、試合に臨んで特別な思いがあったのではないでしょうか。―
日本代表だからという特別な感情はなかったと思います。アジアラグビーセブンズシリーズは決勝までいくと国歌斉唱があるのですが、そのときも冷めたような不思議な感覚しかありませんでした。舞い上がることもなく、緊張することもなく、私は今ここにいて、国歌を歌っている。そんな自分を見つめる冷静さがありました。
多少は緊張していたと思うのですが、代表戦はリザーブからの出場ばかりなので、いつ声が掛かるかわかりません。出れば短時間で自分の役割を果たさなくてはなりませんので、いつでも行けるという気持ちを持って臨んでいました。その結果、自分のプレーだけに集中することができたのだと思います。
―大会を通して、これは集中できたぞというプレーがあれば教えて下さい。―
第1戦タイ大会の決勝のときでした。逆転してからのキックオフでこれを取れば勝てるというシーンです。私の強みはキックオフですから、これを取らなければという使命感に駆られていました。あのときは完全にゾーンに入っていてボールしか見えていません。難しいボールだったのですが、しっかりキャッチすることができました。結果的に試合は負けてしまうのですが、ゾーンに入った瞬間のことは鮮明に覚えています。
―初の日本代表という緊張よりも自分の力を出し切ることに意識が向いていた。松永さんらしいエピソードですね。―
それは自分が日本代表選手だとか、すごい選手だと思っていないからでしょうね。私にできることはひたすら自分の持てる力を出し切ることだけです。
私にはスピードがあるわけでも、特別なスキルがあるわけでもなく、身体の強さやキックオフで思い切り行けるところを評価して使っていただいています。感謝して、その思いに応えたいと思っているだけです。
―先ほど日本代表戦はリザーブからの出場が多いとありましたが、スタートメンバーとリザーブとの違いはどんな点にありますか?―
スタートはスタートの、リザーブはリザーブの責任感の違いというものを感じました。勝っている試合でも、負けている試合でも、僅差のときも監督が信じて出してくれます。「出るぞ」と言われて出ていくのですが、どのタイミングでその指示が出るかわかりません。わからないところで常に準備ができていなければならないので、メンタルの準備がスタートとは違って難しいと感じていました。それが2日間で6試合ありますから、体力的にはもちろんですがメンタル面でも厳しい大会でした。
メンタル面の難しさという点ではもう一つ学んだことがあります。それは第3戦UAE大会の前日に怪我をしたことです。そのとき私はディフェンスに入っていたのですが、アタック側の選手に合わせて動いたときに腓骨を骨折してしまったのです。本当に何気ない動きの中での怪我だったので「なぜこれで?」と驚きました。その時期は関東大会(15人制)の3戦目に入るころなので、YOKOHAMA TKMのことが気になってしまって、目の前のことに集中できていなかったのです。
改めてメンタルの大切さを学びました。もちろん疲労もあったとは思いますが、自分がやるべきことに集中していれば起こらなかった怪我かもしれません。アジア大会が終わればワールドシリーズが始まるというタイミングでの怪我ですので、「折れてる」と聞いたときはいろいろなことが頭を過って泣いてしまいました。
やはり、目の前のこと、自分がやるべきことに集中しなければいけないということです。その後は頭を切り替えて、日本代表のために今自分にできることは何かを問い続けながら最後まで共に戦いました。この怪我のことも今では昨年のこととして、懐かしい思い出になりました。
―ここまでは2022年のアジアラグビーセブンズシリーズを振り返っていただきましたが、ここからはラグビーとの出会いからお聞きしましょう。―
私は8歳から大学4年生までバスケットボールをやっていました。ラグビーとの出会いは、大学4年のときに東京山九フェニックスの四宮監督から「ラグビーをやらないか」と誘われたことがきっかけです。ですが、大学を卒業して非常勤で中高一貫校の体育の先生をしていたのですが、部活動の顧問などもあって2年間はほぼ教員中心の生活を送っていました。
ですが、私はラグビーがしたい、自分がプレーしたいという思いが強く、教員を辞めて東京山九フェニックスやペガサスでプレーをするようになりました。
―YOKOHAMA TKMに加入したきっかけは?―
2018年の国体予選で長谷部監督に出会い、「待ってるよ」という誘いに惹かれてYOKOHAMA TKMに移籍を決めました。私もこの人に教わりたいと思ったのです。その後、最初の2年間は別に仕事を持っていたのでクラブメンバーとして在籍し、現在は横浜未来看護専門学校の体育教師として勤務しています。
―YOKOHAMA TKMの魅力をお聞かせ下さい。―
ラグビーに集中できる環境が整っているところです。そこは私たちのチームの最大の強みであり、私たちが一番感謝しなければならないところだと思っています。午前中に仕事をして午後からは練習という恵まれたチームです。
職員に限らず、学生や他の企業に勤めているクラブメンバーでも、寮があって食事があって、試合や練習後に集まって、映像を見ながらコミュニケーションを図れるような環境です。
だから、あえて時間を作って集まらなくても自然とそういう流れになっていきます。これがYOKOHAMA TKMの魅力であり、特色です。
でも、それはけっして当たり前のことではなく、職場の理解があり、フォローしてくださる方々がいるお陰なのです。その感謝の思いを力に変えて結果で恩返しをしたいと思っています。
―最後にこれからの夢をお聞かせください。-
将来の夢は考え中という感じです。
私はバスケからラグビーに転向して、知らなかった自分に出会えましたし、自分の可能性にも気づくことができました。だから、自分を伸ばすためにも、知らない世界を見てみたいと思っています。海外にも行ってみたいのですが、それがラグビーなのかラグビーを引退してからなのか、今の時点ではまったくわかりませんが、将来的には自分の可能性を広げるために積極的に知らない世界に飛び込んでみたいと思っています。
―松永美穂選手でした。お時間をいただきありがとうございました。ー