内海春菜子選手インタビュー「パリオリンピック2024を振り返って」
YOKOHAMA TKM創部以来、初のオリンピアンとして挑んだパリオリンピック2024。
女子ラグビー日本代表サクラセブンズはオリンピック過去最高位となる9位の成績を収めました。
内海春菜子選手にいま改めて世界最高峰の舞台を振り返っていただきたいと思います。
それでは内海選手、よろしくお願いいたします。
内海
オリンピックが終わり新しいシーズンも始まって、冷静に振り返る時間ができました。やはりオリンピックは特別な場所であり、人生に一度の大きな舞台だったと思っています。セブンズのワールドシリーズとはまったく異なり、これがオリンピックなのかという圧倒的な雰囲気の違いを感じました。
ジャパンは事前合宿を行ってから選手村に入り、いつも通り良い形で試合に入ることができたと思っています。でも、開催国であるフランスですとかアメリカはオリンピックに懸ける想いが強く、いつも以上にブレイクダウンでプレッシャーを感じて受けてしまいました。
私たちはいつも通りを意識していたのですが、相手はそうじゃなかった。そこでやられてしまったのだと思っています。
―あれほどの大観衆ははじめての経験だと思うのですが、大舞台に立ったときに自分を支えてくれたものはなんでしょう。
内海
前日のジャージプレゼンテーションのときに、サクラセブンズで一緒にやってきたスコッドの人たちが中心になって、所属チームや家族からの応援動画を集めてくれてみんなで見ました。その動画にはいろいろな方たちの想いが詰まっていて、改めてこういう方たちのためにもやらなきゃいけないという気持ちが生まれて気合が入りました。
グラウンドに立ったら、いつも通り冷静にというか、自分らしく楽しみながらやることを意識しましたし、このチームで試合をするのも最後なので、目の前の試合に全力を尽くすことに集中しました。
―「いつも通り、冷静に、自分らしく」内海さんらしいですね。その「らしさ」を生み出す独自のルーティーンなどはありますか?
内海
まったくあまりません。理由は一度ルーティーンを決めてしまうとやらなかった時にパフォーマンスが落ちてしまうんじゃないかと考えてしまうからです。何を食べるとか、何をするとか、何時に寝るとか、海外遠征のときも大会前や期間中もあまり気にせずいつも通りの生活を意識しています。試合前は音楽を聞いてからアップする。それだけです。
オリンピックだからと何かを変えたこともありませんでした。ワールドシリーズからの積み重ねがあって、その上でメンバー選考もされてきましたので、体調を整えることが最優先かなと思っていました。
―そのパリオリンピックを振り返って、特に印象に残ったことを三つ挙げていただけないでしょうか。
内海
一番印象に残っているのが試合会場ですね。凄い!のひとことです。あまりにもすごい会場なので緊張というよりも、こんな大観衆の中で試合ができる日がきたのかっていう思いでいっぱいでした。円陣組んでいるときとか、まさにそんな感じでした。
中でも第2戦のフランス戦は完全アウェーで、ものすごい観客の声援によってサインが何も聞こえず、どうがんばっても立て直せない雰囲気でした。
宙に浮いているような感じがして、夢の中にいる感覚で試合をしていました。なんとか立て直そうとしていたのですが、声が聞こえないのでみんなどうすることもできなかったと思います。
―9位という成績はオリンピックでは過去最高ですが、その結果についてはどう思われますか。
内海
もっと上にいけるチームだと思っていたのでとても悔しいのですが、そのとき、そのときでベストを尽くせたとは思っています。ただ9位という結果にはとても満足できてはいません。
ベスト8に入るためには予選プールで1勝しなければならず、なおかつ、他の2試合の得失点を埋めなければなりません。3位通過の3位では下位に下がってしまうので、ジャパンはワールドシリーズでも毎回その壁を越えられるかどうかが課題になっています。
初戦のアメリカ、第2戦のフランス戦でかなり差がついてしまい、他のプールを見ても絶望的でした。どちらの試合ももう少しスコアできたんじゃないかとか、最後に1本取れたんじゃないかなど、十分戦える相手であるとワールドシリーズを通してみんな分かっていたんです。実力的にはもっと戦えたはず。だからこそ悔しいんです。
―オリンピックで印象に残ったことの二つ目はなんですか?
内海
やっぱり開会式と選手村ですね。これはオリンピックならではのものなので挙げておきます。
日本代表は食事会場までの距離が遠いので自転車争奪戦でした(笑)。乗り捨てでいいので、選手村の中を自転車で駆け回りながら食事会場に行くんです。それはそれで楽しかったのですが、部屋には何もなくて、最初に入ったときは「まじか!?」みたいな感じで驚きました。ベッド二つとハンガーラックがあるだけなんです。冷蔵庫はないし、ティッシュもなくてあまりにも不便でストレスがたまりました。
あの環境に慣れるまで時間が掛かりましたが、慣れたら、部屋は寝るだけになりました。
ラグビーは試合時間が遅かったので、食事会場に行っても何も残っていなくて……。しかたがなく持っていったアルファ米を食べたり、ヨーグルトとフルーツは会場にあったものをいただいて部屋で食べていました。
あとはJOCが拠点を用意してくれていたので、サプリで補ったりしていました。
―開会式はどうでした。楽しむことはできましたか?
内海
選手村はパリの中心街からは遠く、バスで移動して船着場に行って、それぞれの国ごとに順番待ちをして出発していきました。
いつから開会式が始まるのかわからなくて、かなり長い時間船に乗っていたのですが開会式の途中から大雨になって……。ですが、川沿いのマンションやホテル、ビルからも大勢の人たちが見ていて、船上からですが開会式はとても楽しい時間になりました。
ただ、開会式自体は何をやっているのかまったくわかりませんでした。
―オリンピックで印象に残ったことの3つ目をお聞かせください。
内海
やっぱり繋がりですね。オリンピックに選ばれたときに中学時代の先生や高校時代の友人、親戚の人など、いろいろな人たちから連絡をもらいました。ラグビースクールでお世話になった校長先生やコーチたちが壮行会を開いてくれました。本当に嬉しかったですし、その応援が力になりました。これもオリンピックという大舞台だからこそのことだと思うのです。
私は6歳でラグビーを始めたのですが、怪我が多く何度も辛い時期を乗り越えてきました。その都度いろいろな方に支えてもらいながら今に至っています。
私は今回のオリンピックを通して、改めて人と人の繋がりを感じました。こうした繋がりの上に現在の自分がいるんだと思うと感謝しかありません。
―怪我といえばオリンピック前年にも大きな怪我をされましたが。
内海
2023年2月の女子SDS大分合宿で膝を怪我しました。あの時はもう思い残すことはないというか、ワールドシリーズで何カ国か回って出場しましたので、今やめても後悔はないかなという気持ちもありました。
「やめようかな」「いやいや、もう少し続けてみようかな」と毎日毎日考えて、やり切ったという気持ちともう少しみんなとやりたいという気持がぐるぐる回っていました。
―復帰したとき周囲はどんな受け入れを?
内海
半年くらいで復帰しようと頑張っていたのですが、オリンピック予選には間に合わずワールドシリーズで復帰することになりました。
そんなときもみんな普通に接してくれて、「目標はそこじゃなくてオリンピックだから、そこにコンディションをあげていけばいいよ」と言ってくれたので、焦らずワールドシリーズを回ってオリンピックに出場することが目標になりました。
それまではどの試合も全部頑張りたいと思っていたのですが、あの怪我によってどこにピーキングを持って行くか考えられるようになりました。
先ほどお伝えした3つ目の「繋がり」にはこうした怪我からの復帰も含まれています。
怪我で離れている辛い時期は自身の内面に気づくときであり、自分が成長するために必要な時間だったのかなとも思っています。
こうした繋がりに感謝しつつ大会や合宿、日々の練習はもちろん、一瞬、一瞬を大切に過ごしていきたいと思っています。オリンピックが終わって、一人の選手として変わった、もしくは変われるように今はそれを探しながら練習しているところです。
―内海春菜子選手にパリオリンピック2024を振り返っていただきました。お時間をいただきありがとうございました。
皆様の応援が選手の力になります。
引き続き内海春菜子選手の応援をよろしくお願い申し上げます。